ぱぱちゃりライダーブログ
東京2020大会が開幕した(ようだ)。
「ようだ」というのも、昨日は一日モデルナワクチン2回目の副反応で寝込んでおり、世の中とは隔絶状態だった。夢うつつの中で雷のような音が聞こえたのが、もしかしたらブルーインパルスだったかもしれない。
COVID-19で格差が広がる中でのオリンピック開幕のためか、なかなかお祭気分にはなれない。
そもそもオリンピックには「スポーツと文化の祭典」として文化オリンピアード、文化プログラムの義務が課せられている。しかし、昨年からの感染症蔓延下で文化が大切にされてきたかというと、劇場や博物館・美術館の状況からそのような実感がない。
オリンピックの競技会の以外のことがどのように扱われてきたのか、もっと文化を大切にしていることが伝われば、雰囲気も変わっていたのではないかと感じている。
一方これまで様々な差別発言や過去の言動などで関係者が退場をせざるを得ない状況が繰り返されている。今回のオリンピックで評価されるかもしれないことは、人権意識の世界標準化かもしれない。
これは自分自身も含め、今まで見て見なかったふりや、アンコンシャスバイアス〜無意識の偏見を持っていた社会のあり方も問われている。インフォーマルな会話のつもりでの発言でも、それにより傷つく人がいることを気づくべきだろう。
いかなる差別も許さないというオリンピック憲章のもと、人権意識が根本から変わるきっかけとなることを願っている。
BUILD BUCK BETTER
このオリンピックがCOVID-19からのより良い復興を目指し、格差や差別意識の解消などに結びつけ、より良い社会に向かえるのか、それとも、お祭りムードで今目の前の課題に蓋をすることになるのか、社会の問題として問われていると思う。
それともそもそもオリンピックにこれらを期待することは間違いなのだろうか。
オリンピック憲章の人間の尊厳保持と平和な社会の推進という言葉はどこに結びつくのか、考え続けていきたいと思う。
私自身ボッチャに関わる身として、パラリンピックのボッチャには期待をしているし、東京でパラリンピックが開催されるにより障害者理解が格段と進むことを願っている。
東京2020大会が終わったら、少しでも良い社会に踏み出していることを願い、そのためには私たち一人一人の努力を積み重ねていきたいと思っている。